アユタヤの東の軍事拠点 / Nakhon Ratchasima : 訪問日 α、 01Jul2006、19Dec2009


Nakhon RatchasimaのRatchadamnoen通りを境に、
東側が旧市街、西側が新市街となっています。

旧市街は、17世紀にアユタヤのNarai王が、国境地域の監視と警備の為に、
王国東端に軍事拠点として建設した城壁と環濠を持つ都市でした。

1826年にはラオスのヴィエンチャン王国の最後のアヌウォン王が、
ラーマ3世に反旗を翻し、侵攻した際に、Nakhon Ratchasimaは、一度、陥落しました。
しかし、副知事のモー夫人が、ラオス軍の将兵に馳走を振る舞い酔いつぶしたところを攻撃し、
Nakhon Ratchasimaを取り戻したと言われています。
そして、ラーマ3世は、モー夫人に、タオ・スラナリと言う称号を贈ったと言う
逸話も残っています。

この町は、私がクメール遺跡を訪問する時には、宿泊等で何度も訪れた
遺跡めぐりの拠点となった町です。

そう言えば、2000年12月31日の夜には、家族で、この町のSima Thani Hotelへ宿泊し、
21世紀のカウントダウンを聞いたのも、この町でした。

この城郭都市には、東西南北に門がありました。
写真は、その西側の門のChumphon門です。

4つある門のうち、
この門だけが、当時の石を利用して
再建されていると言う事です。









その門の前には、
タオ・スラナリ像が建っています。

タイ国民には、
ヤー・モー(モーおばあさん)の愛称で呼ばれ、
多くの人がお供えをし、崇拝を受けています。










西側の環濠です。














北側のPonsean門です。














北側の環濠です。















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